統一教会=世界平和統一家庭連合=勝共連合まとめスレ
- 23 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2022/07/18(月) 18:15:21 ID:NvjWuwxs
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城内康光の部下がアヘスガ政権の杉田和博
杉田 和博(すぎた かずひろ、1941年4月22日[1] - )は、日本の警察官僚。神奈川県警察本部長、内閣情報調査室長、内閣情報官、内閣危機管理監、内閣官房副長官兼内閣人事局長なども歴任した。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%89%E7%94%B0%E5%92%8C%E5%8D%9A
初代内閣情報官の杉田和博氏もまた同じ思いだったのではないだろうか。
城内康光警察長官(58年)の後押しで神奈川県警本部長から警備局長に返り咲いたものの、國松長官狙撃事件捜査失敗の上に、公安警察自壊の責任を問われ、ペルー人質事件後、内調室長へ放逐された。
ただ、國松氏が城内長官に抗って、杉田氏を刑事局長に起用するという、当初の人事構想を貫徹していれば、警察庁長官への道は閉ざされることはなかったであろう。
そして何よりも、オウム事件は、松本サリン事件捜査の急展開によって、終止符が打たれた可能性が大いにあったと筆者は思う。
しかし、人事とは不思議なものである。初代内閣情報官に昇格すると、瞬く間に初代内閣危機管理監へ、更に内閣官房副長官に登り詰め、奇しくも現在は霞が関の幹部人事を牛耳る「内閣人事局」トップも兼務している。
官邸入りしてからの杉田氏個人は、ポストが変わるたびに、雪だるま式に権力と求心力を集中させていった。
しかし組織としては、屋上屋を重ねる官邸ポストの乱立と堂々巡りの人事で、官邸の危機管理もインテリジェンスも一気に空洞化していった。
https://bunshun.jp/articles/-/13629?page=2
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